W杯や五輪のアジア予選で韓国に勝ったのは初めてで、それが心の隙につながったのかもしれない。第4戦で韓国に勝って泣いている選手もいて、W杯出場が決まったような雰囲気もあったが、ラモス瑠偉さんが「何、泣いているんだ。まだ何も決まってないぞ」と、活を入れていた。イラク戦は試合前から日本が勝ったような雰囲気になっていたが、これが落とし穴だった。
4試合を終わって北朝鮮以外は本大会出場の可能性を残していた。イラクも可能性は低かったが、日本に勝てば他会場の結果次第でわずかながらチャンスが残り、まだ諦めていなかった。91年の湾岸戦争で米国とイラクが緊張状態にあり、米国でのW杯出場を目指すイラクのモチベーションは高かった。前半5分にカズさん(三浦知良)が決めて先制し、後半9分に追いつかれたが、すぐにFW中山雅史が決めてリードした。イラクの選手は、顔色ひとつ変えず、黙々と戦っていた。オフト監督は1点リードの後半35分に、中山に代えてFW武田修宏を投入した。サッカーでは選手交代でベンチの意図をピッチの選手に伝えることがある。この時はFWを入れて「攻めろ」なのか、FWとFWの交代なので「このまま終わらせろ」なのか、はっきりしなかった。武田もベンチから何も指示されていなかった。こういう時は、ピッチの中で誰かが「勝っているんだから、こうしよう」と声をかければいいのだが、みんな経験不足だった。
アディショナルタイムに入った。当時は目安の時間表示がなかったが、あまりないと思っていた。うまく時間を使えば試合はこのまま終わらせられただろう。相手のカウンター攻撃をGK松永成立さんが防いでCKにした。残り時間が少ない時は早くセットし、ゴール前に人数をかけてクロスを上げてくることが多いが、イラクは想定していなかったショートコーナーをやってきた。カズさんの対応が少し遅れて、クロスを上げられ、私の前に入ってきた選手にヘディングされて、逆サイドに決められた。ボールの軌道は今でも鮮明に覚えている。その瞬間、W杯の切符が逃げてしまったと思った。引き分けでも他会場の結果次第で出場の可能性があったし、まだ時間が残っていて攻撃のチャンスはあった。だが、みんな諦めてピッチに倒れ込んでしまった。韓国の経過は知らなかったが、韓国は大勝するとみんな勝手に思い込んでいた。韓国と勝ち点で並んだが、得失点差で韓国が上回り、日本は出場権を逃した。
天国から地獄、そのあとはあまり記憶がない。それぐらいショックだった。日本がW杯出場を果たしていたら、4年サイクルで成長している日本サッカーの進化を、1サイクル早く世界に示すことができた。先にはつながったが、米国大会でサウジアラビアが決勝トーナメントに進出しただけに、W杯で腕試ししてみたかった。私自身も、世界への道が開けて人生が変わっていたかもしれない。
◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。
【井原正巳 我が道19】天国から地獄…記憶がない 経験不足も露呈した“ドーハの悲劇”
スポニチアネックス 2025年07月20日 07時00分