元中日・荒木雅博氏の礎となった熊本工での猛練習
大舞台の雰囲気にのまれた……。元中日レジェンド内野手の荒木雅博氏(野球評論家)は熊本県立熊本工で1993年の1年秋から二塁のレギュラーポジションを掴んだ。初戦敗退に終わったものの、1994年春の選抜にも出場した。ところが、その後、不調に陥り、同年夏の熊本大会は出番なし。無念の結果だったが「苦しくはなかったんですよ」と言う。「たぶん、自分の性格なんでしょうねぇ」と振り返った。
「高校は、野球をやるんだったら熊本工1択だった」という荒木氏は、中3夏以降の猛勉強の末、合格を勝ち取った。志望した当時は教師から成績的に「無理だよ」と言われながら、そこから巻き返しての“逆転劇”。「受験の時は受かると思っていました」。やればできる。この時に身につけた“継続力”は,その後の野球人生にもプラスになった。熊本工でも練習を積み重ねて、技術力をアップさせていった。
自宅から片道13キロの自転車通学。「行きは40分くらい。帰りは練習終わりですし、上りが多いですし、1時間くらい。ダラダラ上って、最終的にはちょっと下って、また上って、下ってくらいの感じなのでね」。それが毎日のいいトレーニングにもなったという。「家に着くのはだいたい22時とかでしたね。練習は19時くらいに終わって、あとは個人練習。ナイター(設備)がついているので、バッティングしたりして……」。
その頃から練習の虫だった。「帰っても暇なんで練習しようと思っていました。最初はしんどかったけど、それも慣れてしまったら、普通になるんでね」。野球の伝統校・熊本工だが「厳しかったですけど、よく(他の名門高校などで)言われるような厳しさからはもうだいぶ……。僕らの時代くらいから、今の時代の方に寄っていきだしたのかなと思います」と、理不尽なしごきなどは少なかったそうだ。