商人や職人に対する徴税システムがない

商人や職人に対する正規の徴税システムがないというのは、現代人の感覚からすれば、体制上の大きな欠陥に思える。でも、幕府が成立してゆく戦国時代〜近世の初めには、それでもかまわなかった。
戦国時代の地方都市といえば、まずは戦国大名の城下町だったし、日本全体が戦争経済で回っていたからである。商人は大名や家臣たちのために商品を仕入れることで、城下での営業を許可されていたし、職人たちは武器などを制作して納めるために城下に集められて、居住権を得ていたのである。
ところが、戦争が終わって泰平の世が訪れると、商業も手工業も流通業も非軍事分野で爆発的に発展する。そうなれば、「田畑に賦課する年貢」という正規税制ではカバーできない領域に、経済の重心が移ってゆく。
そこで幕府は、町人たちから運上金(うんじょうきん)という営業税みたいなものを納めさせることにした。といっても、帳簿から売上げ・原価・諸経費・営業利益・損益などを算出して税を賦課するシステムなんて、いきなり作れっこない。「お前の店はガッツリ儲かっているから毎年百両納めろ」「将軍家の代替わりで目出たいから二百両出せ」みたいな、ザックリした取り方になる。
この運上を納めるのは、町人でも町名主と呼ばれる顔役クラスの者だけである。長屋住まいの八っつぁん熊さん連中の、居住実態や生業をいちいち把握するシステムなんて、存在していないからだ。対して町名主は都市における地主で、一般の町人たちは家賃を払って住んでいるから、大家に納める家賃の中に住民税相当分が含まれているようなものだ。
町人から取り立てる「税」としては、運上金のほかに冥加金(みょうがきん)というものもあった。こちらは、株仲間として認めてもらうために納める権利金とか、事業を認可してもらうための礼金のたぐいである。運上金も冥加金も、ヤクザのショバ代・テラ銭よりは多少スマートなやり方ではあるものの、税というよりは上納金といった方がしっくりくる性質のものだ。
ここで、前稿「田沼意次はなぜ賄賂政治家と評されたか、松平定信の『ネガキャン』と賄賂横行を許した幕府の体質」の話を思い出していただきたい。もともとが軍事政権である幕府は、民政機構を持たない「小さな政府」であったから、経済政策やら民政的施策やらが必要になると、いきおい許認可行政の形を取らざるをえなくなる。そして江戸時代中期ともなると、米経済に依拠した年貢以外の方法で、幕府の税収を増やすことが喫緊の課題となってくる。
こんな状況下で税収を増やす手っ取り早い方法は、運上・冥加金をガッポリ取ることだ。かたや幕府の役人は、税収増という実績をアピールして出世の階段を登りたいから、事業の許認可権を楯に町人側に運上・冥加金を要求する … これでは賄賂天国にならないはずがない。
大河ドラマ『べらぼう』は、このあたりの時代背景を巧みにストーリーに生かしている。たとえば、蔦屋重三郎が狂歌の会を通して知己を得る幕府の小役人が、小禄の割にやたら羽振りがよかったりするが、彼は勘定所の小頭なのである。田沼時代の勘定所には、税収増のための許認可権が集中していたからのだ。
などという事情を頭に入れておくと、『べらぼう』もより深く楽しむことができるのではないか。
*2024年9月25日から掲載のシリーズ「歴史から考える権力と税金」を併せてお読みいただくと、本稿の内容がより深く理解できます。
(西股 総生)