第9戦イタリアGP、そして第10戦オランダGPと続いた今季初の2連戦で、ホンダはトップ10フィニッシュを果たせなかった。今季、復活の気配を感じさせてきただけに「一体どうした」という声が聞かれた。
そんな矢先、KTMのMotoGPエンジンを設計したことで知られるクルト・トリブがホンダに移籍することが決まった。すでにオランダGP開催中に「移籍濃厚」と報道されていたが、関係者の話をまとめると早ければ今シーズン中にもホンダでエンジンの設計を始めるのではないかと言われている。2027年にはレギュレーション変更によりMotoGPクラスの排気量が1000ccから850ccに下げられるため、850ccのニューエンジンの設計にかかわることは間違いない。
これまで長らく「エンジンのホンダ」と言われてきたが、こうして外国人のエンジニアと契約したのは、少なくとも僕がグランプリを転戦するようになってからの36年間では聞いたことがない。パドックの一番の関心事はもちろんライダーの動向だが、今回のトリブの移籍劇は「ホンダのエンジンを外国人が設計する」という点で、マルク・マルケスがホンダを離れてドゥカティに移籍したのと同じくらい衝撃的だ。
MotoGP最速エンジンをつくった男
ドイツ人のトリブとはどんな人物なのか。もっとも知られているのは1990年代にBMWのF1エンジン開発を担当したこと。その他、イルモアでF1とCART、アウディの耐久レース用エンジンを設計するなど大きな功績を残してきた。
2000年代になると2輪に活動の場を移し、KTMのオフロードマシン、Moto3エンジン、MotoGPエンジンを担当。Moto3ではそれまで圧倒的な強さを見せたホンダを打ち破り、MotoGPクラスではタイトルこそ獲得していないが(これまで通算8勝)、最速エンジンの設計者として知られている。現在、MotoGPマシンの最高速記録は2023年のイタリアGPでKTMのブラッド・ビンダーがマークした366.1km/hで、ドゥカティのホルヘ・マルティンがマークした363.6km/hをブレイクしている。
この数年、低迷が続いたホンダは、外国メーカーから多くのレーススタッフを獲得してきた。そのほとんどがサスペンションや車体設計、空力など、日本のメーカーが遅れをとってきた分野だが、ついには、エンジン設計に外国人エンジニアを招いた。時代の移り変わりとは言え、トリブのホンダ移籍には日本人だけでなく多くのパドック関係者が驚くことになった。
ホンダは1950年代にグランプリへの参戦を始めて以来、多気筒、高回転エンジンで高出力を発揮し、ヨーロッパメーカーを打ち負かしてきた。1966年には、50cc(2気筒)、125cc(5気筒)、250cc(6気筒)、350cc(4気筒)、500cc(4気筒)の全クラスを制覇。ホンダの活躍によって次々とルールが改正されるほどだった。
その後のホンダは4輪車の開発に力を注ぐため一時期グランプリから撤退するが、1979年に4ストローク4気筒楕円ピストンのNR500でグランプリ復帰を果たす。この時期、グランプリは2ストロークエンジンが主流で、4ストロークエンジンでは勝てなかった。しかし、同一排気量なら圧倒的にパワーに勝る2ストロークエンジンに、あえて4ストロークエンジンで挑戦していくところがホンダの真骨頂だった。