阪神のフロントとして野村克也、星野仙一、岡田彰布らのもとで働いた元編成部長、黒田正宏。24選手に非情クビ通告、電撃トレード、鳥谷敬獲得に向けた巨人との争奪戦……。あの事件の裏側を黒田本人がNumberWebのロングインタビューで明かした。【全6回の2回目/第3回へつづく】
2002年オフ、阪神・星野仙一監督は血の入れ替えを敢行する。大量解雇直前、黒田正宏と2人きりの会談を持ち、“悪評”について迫った。失礼と紙一重の問いかけに、黒田はなんと答えたのだろうか。
「『それ、仙さんちゃいますか』って(笑)。大学時代から(自分のことを)よう知ってる仲だから、そんな言葉を掛けたんだろうね。僕はダイエーで田淵(幸一)監督のもとで、ヘッドコーチをしたの。辞める時、『黒田が田淵の足を引っ張った』とか『悪口を言った』とか言われましたよ。俺はそんなこと絶対しませんよ。大学の先輩やしね」
話し合いを通じて、星野は黒田を信用した。〈おれは今までのことは知らん。人から聞いた話は全部忘れてやる。今までのことは全部白紙や。これからのお前の評価や、おれのお前に対する判断は今後の結果で決めていく〉(03年10月発行/書籍『夢 命を懸けたV達成への647日』)などと言ったという。
戦力外リストが決まるまで
「星野さんから『(戦力外通告は)お前がやれよ』と命じられました。本当はフロントに、そういう役職があるんです。僕の仕事ではない。でも、『やりましょうか』と答えました」
星野の溢れ出る熱量と対照的に、黒田は実に淡々と話す。02年オフ、阪神は24人もの選手が球団を去った。戦力外はいつ頃から、どのように決めたのだろうか。
「6月の終わり頃から、一軍と二軍の管理部長から上がってきた候補を元に、リストを大まかに作っていきます。ドラフトで最低5人取ろうと思ったら、8人は辞めさせないといけない。外国人やFAの補強もあるので、3人ぐらい枠を空けておく。今なら育成から支配下への昇格があるから、5枠くらい余裕を作っておくと思いますよ」
リストを元に、フロントや首脳陣の参加する編成会議で検討される。3度の開催を経て、最終的な解雇選手が決まる。
「1回目は候補の数が多い。2回目から徐々に絞っていきますね。もちろん一軍監督の星野さん、二軍監督の岡田(彰布)の意見も聞きました。30代半ばの選手が何人もいた。星野さんは、そこに目を付けたんでしょうね。9月の終わり頃から通達しました」