1992年(平4)8月のダイナスティカップ優勝で自信を深めた日本代表は、10月に広島で開催されたアジアカップに臨んだ。1次リーグは苦しみ、初戦のアラブ首長国連邦(UAE)、第2戦の北朝鮮と連続ドロー。最終戦のイラン戦にカズさん(三浦知良)のゴールで1―0で勝って1次リーグを突破、カズさんの「魂こめました」のコメントは有名になった。準決勝の中国戦はGK松永成立さんが途中で退場になり、急きょ出場した前川和也がミスをして追いつかれたが、最後に中山雅史が決めて勝った。決勝はサウジアラビアとの対戦で、高木琢也がクロスを胸トラップして決めたゴールで1―0の勝利。サンフレッチェ広島の高木と森保一の地元開催での活躍はドラマのようで、こういう展開はチームに勢いが付くし、日本サッカーの盛り上がりも肌で感じた。

 中東勢、特にUAEやイランには実力のある選手がいたので、そういう国に勝てたのも大きかった。W杯が現実のものとなり、「行けるんじゃないか」という思いも強くなってきた。

 年が明けて2月にイタリア遠征を行い、ユベントス、インテル・ミラノ、レッチェと対戦した。イタリアはリーグ戦の最中で選手のコンディションは上々。シーズンオフに来日するチームとは質も強度も違う、最高の経験ができた。おかげで「欧州を相手にこれだけできれば、アジアの選手には負けない」と思うようになった。オフト監督の狙いもそこだったと思う。

 3月にはキリンカップでハンガリー、米国と対戦し、いよいよ4月にW杯米国大会アジア1次予選がスタートした。日本、タイ、スリランカ、バングラデシュ、UAEの5カ国が2カ所の集中開催で対戦し、1位チームが最終予選に進出する。第1ラウンドが日本、第2ラウンドがUAEだった。「1次予選は勝って当たり前」という風潮だったが、前回のW杯イタリア大会はアジア1次予選で敗退しているので油断はできない。その中で、開催地が日本が先だったのは大きかった。