石垣の解体と積み直し工事に伴い、曳屋(ひきや)された弘前城(青森県弘前市)の天守。天守台に戻す前の耐震工事で見つかった江戸時代の遺構が4日、報道陣に公開された。築城した1611年から1810年に現在の天守が築かれるまで、建物が2度、作り直された跡が見つかった。

 弘前城は、天守と城門、櫓(やぐら)などが国の重要文化財に指定されている。2015年に天守を移動して石垣を解体、24年12月に2185個の築石(つきいし)の積み直しが完成した。来年度、天守を元に戻す計画で、天守台(南北13メートル、東西10メートル)に耐震補強のため4本の杭(深さ35メートル)を打つ。そのためそれぞれ直径2.5メートルの穴の内部で遺構の発掘調査が進められた。

 現在の天守台の場所には築城当時、「辰巳櫓台」が築かれていたとされる。穴の中で見つかった遺構は、築城時のだいだい色の地層の上に、17世紀中頃以降に造成された跡、その上に小石が敷き詰められた跡、さらにその上に天守台の盛り土があった。築城から2回整地され作り直された証しとみられる。文献では知られていたが、発掘調査で初めて裏付けられた。

 発掘した弘前大学の関根達人教授は「弘前城は国の史跡なので壊さないのが原則。天守を戻すにあたって(天守台を)最小限破壊せざるを得ない以上、たくさんの事がわかるようしっかり調査したい」と話した。(江湖良二)