日本映画で一番稲作を詳しく描き、田んぼを一番美しく描いた『ごはん』
——そして次の作品が『ごはん』(2017)ですね。
安田 1本目は750万の製作費で250万の収益で終わるという手痛い敗北を喫したので、やっぱり有名な人に出てもらって、宣伝費をかけて、そういう方向しか映画はうまくいかへんのかなと悩んでいた時に、ある人が「地方のホールでおじいちゃん、おばあちゃんが見るような映画もあるんやで」と教えてくれた。当時、親父がまだ存命でピンピンしていたんですけれども、うちの実家は農家をしていて、親父はコメ作りを1人でやっていたわけです。僕も田植えとか稲刈りとか手伝っていたわけですけれども、自分自身は機械には乗れてもお米の作り方の細かいことは全然知らない。今、親父が倒れて、俺がこのコメを秋に収穫するまで育てなならんとなったら、これはパニックになるなと思った時、これって面白い映画になるかもしれんなと。
当時、沙倉ゆうのちゃんという『拳銃と目玉焼』のヒロインの子の事務所が廃業されて、事務所の方からうちで引き取ってくださいと言われて。未来映画社というのを僕は作っていたので、そこで専属みたいになっていた。それで女性を主人公にして、田植えが終わった直後にお父さんが倒れて亡くなって、急に秋まで膨大な田んぼのお米を育てていくことになるというストーリーを考えたんです。
これも自分なりのテーマがあって。今まで日本映画で撮られた中で一番稲作のことを詳しく描きたいし、田んぼの風景を一番美しく撮ろうと考えました。
それを思いついたのが夏やったんですよね。まだ脚本を書いていないけれど、どんどん稲は育っていくし、沙倉ゆうのちゃんに何か仕事をあげなあかんしという状況の中で、取りあえず脚本なしで撮り始めて。1年目の冬ぐらいに、初めて原型の脚本を書いて。結局どんどん変わっていったんですけれども。基本的なお芝居を撮るのに3年ぐらいかかって。夏から秋までの映画やったので、7月ぐらいから撮り始めて、11月ぐらいに大体終わるみたいなことを、3年続けて。
で、4年目にちょっとアイデアが浮かんで、一部ストーリーを変えて撮って、それでまたT・ジョイに持っていったら上映してくれることになった。シネコンで5都市で1週間ずつやってくれた。でも1週間だとSNSで話題になっても、2週目がないと見に行けないんです。だからSNSの宣伝効果とか全く抜きでやっていて。
その後ミニシアターが何館か上映してくれて、それで終わるかなと思っていたら、地方の例えば映画好きの人だとか、映画好きのクラブの人だとか、サークルとか、あとは農業関係者、学校関係者が次々に手を上げてくれて、結果的に、コロナで途絶えるまで36カ月間、日本のどこかで毎月上映が続くという状態になった。初めの映画館上映とは別に自社で上映会をやったのは1回きりで。それ以外は全部誰かが手弁当でやってくれはって。結果的に1万2000人以上の方が見てくれはった。製作費は400万だったので、ほんまにペイしたんですよ。
〈 『カメラを止めるな!』の大成功を目の当たりにして始動した『侍タイムスリッパー』の企画に、いつもは反対する時代劇のスタッフたちが身を乗り出した理由とは 〉へ続く
(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)