小気味よいレーシング・モディファイが施された911S。それは、幼い頃から“本物”に触れてきた趣味人のライフスタイルを表す「良き相棒」でもあった。

ただの飾りじゃない

入川ひでとさんの職業は都市計画家である。例えば多摩川を挟んで羽田空港の向かい側にある国際戦略総合特区“キングスカイフロント”も、入川さんが手がけたプロジェクトの1つ。そして、その一角にある“TREX川崎リバーカフェ”には、入川さんの愛車である1970年式ポルシェ911Sが飾られていた。

「ただ飾ってるだけじゃないんです。大事なのはここの場所でね。朝、ここからアクアラインに乗って袖ヶ浦フォレスト・レースウェイへ行って、午前にスポーツ走行を走って、開店前に戻って昼を食べるのにちょうどいい。今はハイグリップのダンロップだけど、エイヴォンのバイアス・タイヤが袖ヶ浦のミューと合うので良い練習になる!」

その言葉のとおり、入川さんの911Sはオリジナルの2.2リッター・エンジンを2.5リッターへボアアップ。46口径のウェーバー・キャブレターに換装してあるほか、6点式のロールケージ、100リッターの安全タンク、スパルコのフルバケットシートなどFIAヒストリックに準じた仕様に仕立て上げられている。一方で助手席の貴重なRSRバケットシート、スキーを載せたルーフキャリア、ホーングリルを外して付けたフォグランプ、前後のFRPバンパーなど当時の空気を感じさせる絶妙なモディファイが施されており、まさに911の遊び方を知り尽くした粋人のクルマといった雰囲気が漂う。

では入川さんとポルシェとのルーツはどこにあるのか? と聞くと「僕とポルシェの最初の出会いは親父です」という答えが返ってきた。

「親父が尼崎で床屋をしていてね。店が僕の居場所だった。そこには親父の好きなレコードとかバイクがあって……床屋って趣味人なんですよ。お客さんとのコミュニケーションで“趣味の話が多様じゃないと。話題が豊富じゃないと”なんて言ってたな。バイクは陸王に乗っていてね。後ろにみかん箱をくくりつけて猟犬と僕を乗せて丹波篠山にハンティングにいく。当時珍しい水平2連の散弾銃を持っていて、自転車もクロモリで……。あれは僕が12歳くらいの時かな、親父が1968年型のナローを買った。それが僕のポルシェとの原体験ですね」

ピタッとハマった

免許をとり、ホンダ・アコードから始まった入川さんの自動車遍歴は、その後VWゴルフ1、シロッコ、アウディ80と続いていく。

「そのあとはボルボ242ターボとか、メルセデスとか色々と乗りました。あと東京に出てきてからはマセラティが好きだったから、ビトゥルボに始まって、ミストラル、ボーラ、ギブリ、カムシンとスーパーカーをひととおり買いましたね」

でもなぜかポルシェには、手を出さなかったそうだ。

「当時はね、僕の内面にクルマは鎮座しないで飾りのような存在だった。今思うと、結果的にポルシェになることは薄々わかっていたんだと思うんです。でも本物の匂いがするじゃないですか、ポルシェって。だからうかつに手を出してはいけない気がしたんだと思うな」

その後バブルが崩壊したことで、持っていたクルマも手放し再スタートすることになった入川さんは、裏原宿ブームの火付け役にもなった“ワイヤードカフェ原宿”をプロデュースして成功。続いて東急東横線高架下の再開発にも携わり、複合カフェ“SUS”をオープンさせた。

「カッコいい空間で、いろんな物を飾ったんだけど何かが足りない。じゃあ、ちょっと攻めてみよう。ここにポルシェがあったらカッコいいだろうと、お店に置くつもりで40歳の時に買ったのが70年型の911Sタルガだったんです。それが人生で初めてのポルシェでした」

あまり調子がよくなく色々と苦労したというタルガだったが、初めてポルシェを手に入れてみて、入川さんは「ピタッとハマった」感触を覚えたと振り返る。

「ポルシェに乗ってから白洲次郎さんに辿り着いた。次郎さんが乗っていたのも親父と同じ68年式。鶴川から軽井沢のゴルフ場まで2時間で行ったなんて話を聞いたりしているうちに、親父とかぶってきたっていうのかな? 白洲次郎のライフスタイル、親父の教え、モータースポーツ……と、すべてのものが合致したんです。その瞬間にポルシェというものが、自分の中のど真ん中に来た。そこからポルシェが生涯の友になったんです」

いつもいて、遊べる

ついにポルシェの扉を開けた入川さんは、まるで堰を切ったようにポルシェを乗り継いでいく。

「アシで乗っていた964や993を含めて空冷ばかり何台も乗ってきたけど、珍しいところでは80台限定の964ターボS3.3IMSAとか、20台しかない964カレラ4ライトウェイトに乗っていたこともあります。あとは356スピードスター・カレラGS-GT。他に356AもBも、スーパー90も乗りました。ナローはタルガのほかに72年の911Sとかね。そうそう、グループBのホモロゲ用に20台作られた911SC RSを持っていたこともありました」

今はこの911Sのほか、2.7RSRの6気筒エンジンを積んだ356B、RSRルックの930、そして992.2型の911カレラTカブリオレの納車待ちだそうだ。

「ポルシェ好きって“匂い”があるでしょ。最初はとっつきにくいけど、付き合うとスイッチ入るみたいな(笑)。そういう意味で良い人との出会いに恵まれたのは大きいですね」

という入川さんだが、乗ってきたポルシェは圧倒的に空冷が多い。やはりポルシェは“空冷に限る”のだろうか?

「空冷じゃなきゃいけないわけじゃない。水冷もいいし、面白い。でもまだ修行が足りないのか“空冷じゃないと入川らしくない”と言われるのが嫌なんですね(笑)。まだ空冷を言い張っていたいって言うのかな。そういう意味でも昔はクルマをモノとしてしか扱ってこなかったけど、自分のライフスタイルを表現する存在にかわった。イタリア車って“ハレとケ”があるけど、ポルシェは生活の延長線上にある。いつもいて、いつも遊べる。いい相棒ですよ」

まるでガレージのようなカフェに佇む911Sと入川さんの間に、肩肘張らない自然な空気が流れているのは、そういう背景があるからだ。それは人とクルマの関係において、理想的な姿であるように感じられた。

文=藤原よしお 写真=茂呂幸正 取材協力=TREX KAWASAKI RIVER CAFE

(ENGINE2025年6月号)