プロレス界の“レジェンド”藤波辰爾(71)が25日、スポーツ報知の取材に応じ71歳で急逝した“超人”ハルク・ホーガン(本名・テリー・ボレア)さんを追悼した。
訃報が25日午前1時過ぎに伝えられたため、藤波辰爾も亡くなったことを確認できなかったが事実を受け入れると「本当みたいですね…ショックだね」と声を震わせた。
ホーガンさんは1980年5月に新日本プロレスに参戦。藤波は翌81年からジュニアヘビー級からヘビー級へ転向し「飛竜十番勝負」などでホーガンさんとシングルマッチで対決した。「初めて日本に来たときからケタ外れのパワーだった。力だけでなく技にキレもあった。対戦した時はこっちのやる気をかき立ててくれた」と振り返り「彼も日本が好きだったし、日本のファンもホーガンには特別な思いを持って応援していた。彼が“イチバーン”と叫んでリングに登場すると会場が一体となって、猪木さんの“ダァーッ”と同じようにファンが元気になった。彼が一番とやると、ボクも一緒にやりたくなったことを覚えています」としのんだ。
ホーガンさんと言えば師匠のアントニオ猪木さんを失神KOした83年6月2日、蔵前国技館での「IWGP優勝戦」が忘れられない。この時、藤波自身は海外遠征中で会場にはいなかったが「新日本プロレスの社内がひっくり返るほどの衝撃だった」と思いをはせ「今にして思うとあれは、ホーガンだからドラマになった。違う選手だったらそうはなってないと思う」と想像した。
ホーガンさんとは71歳の同じ年。来年デビュー55周年を迎える藤波は、実は主宰する「ドラディション」で来年開催する記念大会でホーガンさんを招待する計画を立てていたという。「ファンのためにもホーガンを呼ぼうかということを考えていた矢先だった…」と明かし、師匠の猪木さん、木戸修さん、小林邦昭さん、グラン浜田さん…ここ数年、昭和の新日本プロレス「黄金時代」を築いたレスラーが天国へ旅立ってしまったが「僕を取り巻く日本人だけでなく外国人レスラーまでも…亡くなってしまって…どうしても元気な時の姿しか思い出せないので…ショックです」と声を落としていた。