1998年からニューヨークで暮らす『今日もよく生きた ニューヨーク流、自分の愛で方』(佐久間裕美子 著、光文社)の著者は、50代になってから、肉体や精神の変化を感じるようになったのだと明かしています。

たしかに50代に限らず、加齢とともに食欲が減ったり、疲れがたまりやすくなったり、他にもいろいろな意味で無理が効かなくなってくるもの。しかしそうした変化が、根源的な意味で自分の人生を捉えなおすためのきっかけにもなっているようです。

私たちは全員遅かれ早かれ死んで炭素になる。その事実に解放感がある。日々のストレスやモヤモヤ、人間関係の衝突もいつか蒸発して無に帰すのだ。年を取ること、いつか死ぬこと、怖くないと言ったら嘘だ。でもその恐怖は自分だけのものではない。みんなに必ず起きることなのだ。

だからこそ、日々が愛おしい。愛や抱擁を交換するチャンスが愛おしい。悩みも、苦しさも、自分が今、ここに生きているということの証である。(「はじめに」より)

この文章は「戸惑ってもよし、がんばり続けなくてよし、疲れてもよし、しんどいと弱音を吐いてもよし」と続きます。たしかにそのとおりですし、そう考えればずいぶん気持ちは楽になるのではないでしょうか。

そしてこれは50代のみならず、40代、30代、そして20代にも――つまりは年齢を超えてすべての人々にあてはまることでもあるはずです。

元気がある時は大きく飛びたいけど、低空飛行が心地いい日もある。今日の自分を、めいっぱい感じたい。(「はじめに」より)

1章「40歳のクライシス」のなかから、いくつかのトピックスに注目してみましょう。

「みんな嫌い」からの出発

著者はキリスト教の女子校に通っていたころ、「みんな嫌い」と思いながら生きていたのだそうです。そこで喧伝される価値観も、さまざまな教えも、「自分にはしっくりこなかった」から。

「みんな」と同じように大人しく座っていられない私に、先生たちはずいぶん辛くあたったし、残されたり、罰を受けたりすることは日常茶飯事だった。一緒に遊んでいたはずの同級生が先生に私のルール違反を告げ口したり、私の素行が親の耳に入ったりして一方的に怒られることに傷ついた。(36ページより)

しかも自身が被害に遭うことはなかったものの、同時期に学校では「いじめ」が始まったのだとか。誰かの靴に画鋲が入っていたりするのを見るたび、得体の知れない悪意におののいたと振り返っています。

そればかりか集団生活も、人のペースに合わせなければいけないことも、ゴシップや家庭環境、経済状況の比較も苦手だったため、ネガティブな気持ちを持て余していたのだといいます。

よくよく考えてみると、本当にみんなのことを嫌いだったわけではない。(中略)ただ、学校という社会の中で、決められたルールや価値観にマジョリティが服従し、それをできない人が排斥されたり、罰せられたりする環境に腹を立てていたのだろう。「みんな嫌い」は自分なりの防御だったのだと思う。(36〜37ページより)

事実、学校という集団生活の枠組みから離れ、各人と直接的なつきあいができるようになると、人と接することに対する苦手意識が払拭されたそう。留学生としてアメリカに渡り、誰かに親切にされたり、気にかけてもらえたりするたび、「人ってそんなに怖くないんだ」と思えるようになったというのです。

もちろんそこには、「アメリカだから」という側面もあったのかもしれません。しかし同時に、それ以外の環境にもあてはまる本質的なことだともいえそうです。

そのうち仕事で人の話を聞くようになった。起きた事件について、どう思うかを街角でつかまえた人に聞いたり、新しく開店した店の背景を聞いたりする作業は楽しかった。

どんな理由があって、何を目指し、何を置いてニューヨークに来たのか、誰しもにストーリーがあった。

そういう作業を通じて、人間というものは一人ひとりまったく違うのだということ、それでも、眠りたい、食べたい、安全に暮らしたい、人を愛したい、愛されたい、理解されたい、肌のぬくもりを感じたい――そういった欲望には普遍的なものがあるのだということを教えられた。(37〜38ページより)

人の話を聞くという作業が、自分のなかに植えつけられていた「みんな嫌い」を少しずつ溶かし、前向きな気持ちにしてくれたのだといいます。そして気がつけば、知らない人に対する恐怖心をも克服できていたのだそうです。(36ページより)

強くなくていい

著者はしばしば、「強い」といわれてきたといいます。自分ではそうでもないと感じていたものの、強くなりたかったことは事実ではあったようです。また、若いころの自分を思い出すと、必死に強がっていたなあとも感じるそうです。

痛みや悲しみに蓋をして強気でがんばるという手法は、かなり長いこと機能した。「すべてうまくいく」と信じる気持ちがなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。

けれど同時に、蓋をしたからといって、その痛みがなくなるわけではない、ということは、精神崩壊の直前まで行って初めてわかった。

傷ついた気持ちになった時、「私は恵まれているのだから」と、その気持ちを脇によけたり、否定したりすることは、本当は存在する痛みを消すどころか、さらに傷をつけることにしかならない。(43ページより)

ストレスやネガティブな気持ちは処理するべき。そのまま放置しておくと、心や体のなかにたまっていくものだからです。著者も経験を通じてそのことを学んでからは、傷ついた自分とその感情を認め、“撫でてあげてから捨てる”ことを心がけるようになったのだといいます。

「すべてうまくいく」幻想からも、少しずつ脱却しようとしている。うまくいかないこともある、取り返しのつかないことだってある。でも、そのたびに、自分なりのベストで立ち向かうことしかできないのだ。(36ページより)

こうした変化を受け入れていった結果、いつしか「強くなりたい」とは思わなくなったそう。だからこそ、もし若いころの自分に会ったら、「強がらなくてもいいよ」と声をかけてあげたいのだともいいます。(40ページより)


現代社会は大変なことが多く、みんな、いろいろなことを背負いながら生きています。しかし大切なのは、与えられた条件のなかで「生きててよかった」と思えること。著者のそうした考え方は、きっと多くの人の心に響くはずです。

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Source: 光文社