新日本プロレス入団で注目を集めるウルフアロン(29歳)。柔道で頂点をきわめた金メダリストは、プロレスでも成功を収めることができるのか? 木村政彦の時代から現代まで続く柔道とプロレスの“複雑な関係”に迫った。(全2回の1回目/後編へ)

計り知れない新日本プロレスの経済効果

 東京五輪柔道100kg級金メダリストのウルフアロンがプロレスに転向し、来年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でデビューすることになった。

 柔道で金メダリストとなった日本代表の転向にプロレス界は沸いている。テレビ朝日が22年ぶりとなる「1.4」の全国ネット放送を決定したのも十分理解できる。

 地方興行にも「ウルフが出るなら見たい」というファンがあまた出現することが予想されるため、ウルフと複数年契約を結んだ新日本プロレスの経済効果は計り知れないほど大きい。かつて大相撲の元横綱・曙太郎が格闘技からプロレスにスライドした際、曙見たさに大相撲時代からのオールドファンが会場に駆けつけたのと同じ現象が起きるかもしれない。

“無敵の柔道家”だった木村政彦の悲劇

 著名な柔道家のプロレス転向を遡ると、木村政彦を抜きに語ることはできまい。プロレスラーとしての木村といえば、“昭和の巌流島”と言われた1954年12月22日の力道山との一騎討ちで不可解なKO負けを喫したイメージがあまりにも強い。

 とはいえ、その数年前から木村はプロレスラーとしての活動を海外で始めており、ブラジルでも闘っている。54年5月には地元・熊本で国際プロレス団(ラッシャー木村が所属していた国際プロレスとは全くの別団体)を結成。余談だが、同団体ではのちにラウル・ロメロら3名のメキシコ人プロレスラー(ルチャドール)を来日させている。ロメロは日本マット界にとって初めての覆面レスラーだった。

 54年2月から3月にかけては力道山とコンビを組んで、ベンとマイクのシャープ兄弟と対戦している。このとき大会のプロモーターでもあった力道山の引き立て役に甘んじたことによる不満が、“昭和の巌流島”につながった。元関脇の力道山が勝つか、柔道で15年不敗の木村が勝つか。当時、この一戦は相撲と柔道の代理戦争と目されていた。

 柔道では無敵を誇った木村だが、“ブック破り”とされる力道山の突然の猛攻によって倒され、プロレスラーとして大成することはなかった。一方の力道山は、国民的英雄への階段を駆け上がっていくことになる。