「(ハラヘリ、ヘリハラ)メシ食ったかー!」
トシちゃんこと田原俊彦さんがごはん山盛りの茶碗を片手にこう呼びかけるCM(1992〜1993年)を覚えている人もいるだろう。当時の食糧庁が、白米食の推進を目的に1990年から開始した「ごはん食推進委員会」のキャンペーンだ。
皮肉にもこの頃、日本は80年に一度とも言われる歴史的なコメの凶作に見舞われた。いわゆる“平成の米騒動”だ。記録的な冷夏となった1993年(平成5年)、夏頃からコメの価格は高騰の一途をたどった。1993年10月8日付の毎日新聞は警察庁の発表をもとに「コメ泥棒横行208件、プロ暗躍、昨年被害上回る」と報じた。
気象庁の記録によれば同年夏の東京の平均気温は7月が25.3℃、8月でも28.0℃。最高気温は8月11日に記録された32.9度で、現在の“猛暑日(最高気温35℃以上)”にあたる日は一日も無かった。
1991年に発生したフィリピン・ピナツボ火山の噴火による影響とされ、同年のコメの作況指数は74(平年の収穫量を100として算出)を記録、「著しい不良」とされる目安の90を大幅に下回った。時の政権は政府備蓄米23万トンを放出したが供給不足解消には至らず、コメの緊急輸入を決定した。だが輸入米は国産米に慣れた当時の日本人の嗜好には合わず、市場の混乱は1994年に入っても続いた。
経済統計上の“バブル”はすでに終了(1991年3月)していたが、世間にはまだ華やかな空気が漂っていた。1993年5月にはプロサッカー「Jリーグ」が開幕し、6月には当時の皇太子徳仁親王と小和田雅子さんの結婚の儀が執り行われた。