森永康平さん(本人提供)


各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです


父が渡してくれたリポート

 父親(経済アナリストの森永卓郎さん=1月に67歳で死去)が亡くなってこの間、ずっと仕事が埋まっていて、改めて向き合う時間は、正直持てていません。ただ、来た仕事は基本的に断らない、原稿の締め切りは絶対守る、といった姿勢は似ているなと感じています。こうと決めたらやり切るところなどは、仕事で父と僕の双方を知る方から「そっくり」と言われます。

 父は一昨年11月、末期がんで4カ月の余命宣告を受けました。生き延びた1年余の間、自分が伝えたいことを極力残すことに全力集中し、数十冊近く執筆していました。最初の頃は、バカな働き方をしたら死期を早めてしまうと心配になりましたが、結局「この人、言ったって聞かないよね」という感じで。母も途中から同じ気持ちだったと思います。父親らしかったし、それで良かったのかなと。

 僕は小学生時分、小児ぜんそくとアトピーがひどくて、あまり運動ができませんでした。父は仕事ばかりで、いつも母子家庭状態。引け目もあったのか、「絵でも描けば」と渡してくれたのが、シンクタンク勤務時代に持ち帰った経済リポートの裏紙でした。教室でそれに絵を描いていたら、同級生に「お絵描きなんかしてんじゃねえよ」っていじめられ、やめてしまって。やることがないから、リポートの表側を読むようになったんです。

 最初は全然意味がわからなくて。父に「これ、どういうこと?」って聞くと、代わりに渡されたのがマクロ経済学とミクロ経済学の分厚い教科書でした。だんだん興味が湧いて、家にあった経済や投資関係の本を読むようになり、大学に入る前に基礎知識は一通り身に付いていましたね。

言論の根底に信念や哲学を

 父は余命宣告を受け、猛烈な勢いで数千冊の本を処分し、株や投資信託の資産を整理しました。人間関係も整理し、1人で死ぬ形にしたかったが、それは「失敗した」と。母がいなくては何もできない状況だったし、1年先まで入っていた講演やメディア出演は、同様の仕事をしている僕が穴埋めしました。父が趣味で集めた約13万点のコレクションの博物館「B宝館」(埼玉県所沢市)は、理解あるIT技術者の弟が引き継ぎました。結局、母と息子2人に支えられたわけで…。何かの本に「家族はすべきことはしてくれたと思うと心が温かくなる」と書いてありました。

 父は結構極端なことを言うタイプで、それが賛否両論を巻き起こし、注目を集める。僕はそのような手法が好きでなく、反面教師にしている面があります。一方で、賛否両論起こることを恐れてはいけないと思う時もあります。父は弱い人の立場に立って話をすることは貫いていて、響いている人が一定数いたのかな。僕も言論に関わる以上、根底に信念とか哲学を持たなくてはと思います。

森永康平(もりなが・こうへい)

 1985年、埼玉県所沢市出身。明治大政治経済学部卒業後、SBIホールディングスなどを経て、2018年に金融教育ベンチャー「マネネ」を創業。YouTube番組「森永康平のマネネTV」「森永康平のリアル経済学」を運営する。近著に父子での共著「この国でそれでも生きていく人たちへ」(講談社+α新書)。格闘技の愛好家で「EXECUTIVE FIGHT 武士道」55キロ級初代王者。