戦後、外国人と日本人の親から生まれたとみられる「混血孤児」として3歳まで日本で暮らし、養父母に引き取られてアメリカで育ったマツコ・フリーマンさん(72)が6月、約70年ぶりに日本を訪れた。出自に関する新たな手がかりを得たいという願いはかなわなかったものの、生まれ故郷とされる神奈川県葉山町に足を運ぶと、「家に戻ってきた」という思いがあふれた。(神谷円香)

◆育ての親の愛に包まれ…生みの親を探そうとは考えなかった

 マツコさんの出生に関する詳しい記録はなく、実の両親は名前すら分からない。1953年8月、葉山町で作られた戸籍には、日本が独立を回復して間もない前年10月の生年月日や、「小林まつ子」の名があるだけで、父母欄には記載がない。似た事例が他にもあること、肌の色などから、日本に駐留していたアフリカ系アメリカ人男性と日本人女性の子ではないかと、自身や周囲は推測している。

 0歳で葉山町の児童養護施設「幸保(こうぼ)愛児園」に保護された。3歳になるころ、国際養子縁組でアメリカ人夫妻の養子になり、日本を離れた。当時のパスポートには「日本国民であって、永住のため米国へ」と書かれている。その後、米国籍を取得した。

 子ども時代を過ごした1950〜60年代のアメリカでは、黒人らが人種差別に抗議し、基本的人権の保障を求める公民権運動を活発化させていた。だが、日本人とのハーフとみられるマツコさんは見た目が異なることを理由に「意地悪をされるターゲット」になった。それを乗り越えられたのは、「つらいことがあってもポジティブな言葉をかけてくれた」養父母の存在があったから。深い愛情を受けて育ち、生みの親を捜そうとは考えなかった。