音楽評論家でロッキング・オン・グループ代表の渋谷陽一さんが14日、亡くなった。74歳だった。同グループの公式サイトが明らかにした。

 同サイトの発表によると渋谷さんは2023年に脳出血で入院し、その後リハビリに取り組んでいたが、今年に入って誤嚥(ごえん)性肺炎を併発したという。

 1951年、東京都生まれ。71年に音楽評論家としてデビューし、72年、既存のロック誌の常識を変えるべく「ロッキング・オン」を創刊した。創刊メンバーがリヤカーで配本したという逸話は有名で、読者による投稿を中心に構成し、隔月の同人誌的存在だった時代には海外ミュージシャンの「架空インタビュー」など今なら絶対に許されない企画などで資金不足をカバーした。

 77年に月刊誌として経営を軌道に乗せると理論的な文章でロックを語る新たなスタイルを確立させ、業界トップのロック・ジャーナリズム誌へと押し上げた。著書も多く、実質的なデビュー作(74年には音楽ガイド発刊)である79年に自社から刊行した「メディアとしてのロックンロール」は、それまでの評論集の内容を覆す画期的なものだった。

 またDJとしても73年からNHK―FMで活躍。「若いこだま」(AM)、「ヤング・ジョッキー」、「サウンド・ストリート」などで、NHKしか音源のなかった80年代に全国の地方の若者たちから絶大な支持を集めた。病に伏せる24年まで「ワールド・ロック・ナウ」でDJを務め、約50年以上もDJを務めた。レッド・ツェッペリンの熱狂的支持者としても知られた。

 洋楽だけではなく86年に邦楽ロック誌「ロッキング・オン・ジャパン」、89年にはカルチャー誌「CUT」、99年には「SIGHT」も創刊した。

 2000年代に入ると大型ロックフェスティバルのプロデュースも複数手がけるようになり。同年に「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」、03年に「COUNTDOWN JAPAN」を開催。いずれも23年まで総合プロデューサーを務め、事業家としても活躍した。