まもなく戦後80年。『魔女の宅急便』で知られる児童文学作家の角野栄子さん(90)にとって、「食は幸せの光景の一つ」と言う。終戦当時、10歳だった角野さんに平和や食の大切さを聞いた。(野口季瑛)

 1945年8月15日、終戦の日にラジオから流れた「玉音放送」のことはあまり覚えていません。千葉県へ母や弟と疎開していて、当時10歳でした。みんなでラジオを聴いたり、泣いたりしている場面はなんとなく記憶していていますが、放送は雑音混じりで内容がよく分からず、どこで聴いたのかも覚えていません。

 「戦争は終わったんだ」と思ったのは戦後、しばらくたったある夜のことです。灯火管制が解除され、食卓に明かりがともりました。パッと照らされた四角い座卓を家族みんなで囲んで座ると気持ちまで明るくなった気がしました。今と比べると明かりは暗く、食卓に並ぶ食べ物は乏しくて、相変わらずおなかもすいていたけれど、それでもホッとして、うれしかったのです。

 35年に東京・深川で生まれ、3歳から江戸川区の小岩で育ちました。実母は5歳の時に亡くなり、父はその後、再婚しました。

 父は仕事から帰ってくると、「お土産はどこかな」「あった、あった」と言いながら、背広のポケットからアメやチョコレート、キャラメルを一つずつ取り出して、姉や弟、私に手渡すような、子ども思いの人でした。今思えば、1人1箱ずつは買えないから、一包みずつにばらして、きょうだいに分けてくれていたのでしょう。実母を早くに亡くした子どもたちを元気づけたい思いもあったのかもしれません。