〈 高校時代に友人のカンフー映画製作で8ミリに触れ、大学在学中にブライダルビデオを撮り始めた『侍タイムスリッパー』安田淳一監督の映像人生 〉から続く
高校時代に友人と8ミリ映画を製作したものの、大学では映画作りに挫折。在学中から平安神宮でブライダルビデオ撮影の仕事を始めた安田淳一監督だったが、映画への情熱は次第に高まっていき——。いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちに8ミリ映画など自主映画時代について聞く好評インタビューシリーズ。(全4回の2回目/ 3回目に続く )

左:©藍河兼一/右:©︎未来映画社
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再び映像を作り始める
安田 イベントの中で、アタック映像といって、プログラムに入る前の30秒とかぐらいの映像を作っていて、初めはCG屋さんを使っていたんですけど、だんだんCGでプレミアム感を出すのが難しくなってきた頃、このプログラムでお客さんのお伝えになりたいことを1分ぐらいのショートムービーにしてみたらどうでしょうかと提案して。これがすごくうまいこといったんです。
それから、イベントのオープニングをショートムービー形式でという依頼が増えて、そのショートムービーも初めは1分だったのが、5分になり10分になり、最後は30分ぐらいのショートムービーとかもやって。僕が作ったショートムービーで5000人の観客がゲラゲラ笑ったり、ドカンドカン沸くわけですよね。それで映画っぽいものに復帰した。
イベント映像を手伝ってくれはった人が自主映画をやってはって、その人が作った自主映画が東京の自主映画祭でかけられるから一緒に行きませんかと誘って行ってみたんです。その時、つたない感じのものも含めていろんな作品が上映されてて、それを審査員の人が見て一生懸命小難しい言葉で評論してくれるという状況がすごくうらやましかった。自分の作っているものは確かにイベントのお客さんにはウケるわけやけれども、イベントに特化して作っているものですから、そのまま自主映画のコンテストに出してもなかなか通用しないと思っていたので、一回自分で自主映画を作って、ああいうふうに審査員の人に見てもらいたいなという思いになりまして。
それで2005年に久しぶりに自主的に作ったのが、『シークレットプラン』というバレエをやる女の子の話で。それを横浜映像天国というコンテストに出したら、審査員賞と観客賞をいただいて。それでどうせやったら映画館にかかるような劇場映画を作りたいなと思うようになりました。