【プレイバック「私が見た長嶋茂雄」】#33
“燃える男”、“ミスター”の愛称で国民的人気を誇ったプロ野球元巨人監督の長嶋茂雄さんが6月3日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年89。選手、監督として数々の伝説、逸話を残した「ミスタープロ野球」は身近に接した者だけではなく、ファンにさえもそれぞれの「長嶋茂雄像」を強く印象づけている。
今回は日刊ゲンダイ特別号「追悼 長嶋茂雄 50人の証言」に収録された元日本サッカー協会副会長の野村尊敬氏による回顧録を特別公開する。
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小、中、高と広島大の付属に通っとったが、ここの小、中はサッカーが校技みたいなモンじゃったから、休み時間になるとグラウンドは狭かったけぇ、みんな廊下でサッカーよ。でも広島カープがあるけぇ、圧倒的に野球の方が人気じゃった。
ワシは小4からソフトボールを使った三角ベースに熱中し、中学は野球部に籍を置いた。3年の時は投手で4番。付属高でも野球部に入ろうと思うとった。ところが数年前に諸事情で廃部になったまま。サッカーも嫌いじゃなかったけぇ、迷わずサッカー部の門を叩いて高校選手権、国体で準優勝したんじゃ。
早稲田大のア式蹴球部では4年の時に同級生の松本育夫、2年の二村昭雄、1年の森孝慈、釜本邦茂ら「(5年後の)メキシコ五輪銅メダル組」と、天皇杯決勝で日立本社(現柏レイソル)を破った。
サッカーは大学までと決めとったけぇ、今でも最高の思い出じゃ。