3対3のビッグトレードで西武に移籍した佐々木誠。「メジャーに最も近い男」といわれた5ツールプレイヤーがFA権を取得した際にくだした決断とは? 今だから語れる秘話を明かす!〈NumberWeb特集「電撃トレード伝説」全3回の3回目/はじめから読む〉
佐々木誠の西武2年目の1995年から、監督が東尾修に代わった。西武の前身・西鉄時代を含め、エースとして投げ続けた20年間で通算251勝。監督という存在には、チームの顔としての役割があり、その点でチーム生え抜きの東尾のネームバリューは絶大だった。ただ、失礼ながら、東尾の采配には、森と同じような繊細さは見えづらかった。それでも、勝負師としての嗅覚や勘を発揮した“ひらめき”は、東尾の個性でもある。
東尾の「博打野球」
しかし佐々木は、そうした目には見えづらい部分での違和感が、なかなか拭えなかった。
「東尾さんって、どちらかと言えば博打みたいな野球だったんです。なんでこのカウントでエンドラン? イチかバチか、訳の分からんスクイズのサインとかが出たりする。僕も一回、スクイズのサインが出て、わざとファウルにしたんです。それで『打て』となって、ホームランを打ちましたけどね。
なんかこう、野球をちゃんとやりたくて西武に来たのに、何か違うなと。意図のない野球になってしまったんです。僕の求めている野球ではなかったんで、自分の中でちょっと歯車がかみ合わなかった。だから、勝ったり負けたりするんです」