ニュースの中で、また一つ爆発の音が響いた。イランとイスラエルの関係に緊張感がある今、空を越えて飛ぶのは、言葉ではなく「ミサイル」。
正義の名をまとった報復は繰り返され、また一つ、名もなき命が奪われていく。
戦争や紛争のニュースに触れるたび、心の奥で叫びたくなります。
「この命は、誰のものなの」
まだ、こんな報道もない6月頭に、私は旅に出た。向かった先は未知なる国、タジキスタン。中央アジアの山々に囲まれた小さな国で、JICA(国際協力機構)さんが行っている支援活動の現場を訪ねてきました。
政治でもなく軍事でもない、人と人とが向き合い、支え合おうとする、静かな優しさに出会うために。
私にとって特に忘れられないのが、バフダットという町にある「ユースセンター」。ここでは、アフガニスタンから逃れてきた若者たちが、裁縫やお菓子作りの技術、音楽、ヘアメイクなど手に職をつけるために懸命に学んでいる。彼女たちの目は不安も抱えながらも、未来への光を探しているようにも感じ、「希望を捨てていない」それが印象的だった。私の胸の奥で、以前から支援している難民となってしまった人々が紡いだ言葉の記憶が心の中でゆっくりと目を覚ました。難民という言葉で片付けてはいけない。みんな、戦火の中で生まれ、国を越えて生き延びている。異国で言葉もわからず、文化にもなじめず、それでも「生きる場所」をみんな探している。